ソール・ライター写真展”Saul Leiter – Lanesville, 1958″と「永遠のソール・ライター」展

アメリカの写真家で画家でもあるソール・ライターの作品展が渋谷と銀座で開催されたので、鑑賞してきました。展示内容などについては、以下のリンクを参照してください。特に「永遠のソール・ライター」解説ページは作家の略歴や評価が要領よくまとめられていて、さらに作家自身の言葉やキュレーターのコラムなど掲載されているので、とてもおすすめです。

ソール・ライター写真展”Saul Leiter – Lanesville, 1958″

永遠のソール・ライター

肝心の展示ですが、ライカギャラリー東京ではカラー撮影されたヌードを展示しており、渋谷Bunkamuraでは小サイズプリントやコンタクト(ネガを印画紙に並べてプリントしたもので、どのカットを引き伸ばすか検討するために作成しました。デジタルデータでいうプレビューやサムネイルのような位置づけです)、ドローイングなども展示し、総合的に作家を理解させようとしていました。
ライカギャラリー東京はライカ銀座店に併設されたショップギャラリーで、展示空間そのものはこじんまりとしています。ただ、高級ブランドショップがひしめく銀座六丁目のロケーションや、ライカ銀座店の落ち着いた雰囲気をたっぷり味わいながら2階へ上り、プリントラボやサービスカウンタを横目にたどり着くので、作品と向き合う前から鑑賞体験は始まっているように感じました。
作品については、どちらも「ソール・ライター風」と呼ばれる縦位置のやや甘い描写、そして印象的な色彩をワンポイント配置する構成の作品が中心で、夢見がちな雰囲気を感じさせます。ライカギャラリー東京では、そのような縦位置作品のみを展示していましたが、先述のようにBunkamuraでは小サイズプリントやコンタクトも展示していたほか、モノクロのポートレートやヌード、セルフポートレート、もちろん横位置作品も展示していました。

この「ソール・ライター風」と呼ばれる縦位置のやや甘い描写については、望遠レンズによる圧縮効果も指摘されています。具体的には、以下の7 Lessons Saul Leiterで解説されているようなものです。ただ、最後にリンクを張っているソール・ライター財団の動画でも強調されているように、ライカでのストリートフォトというイメージが流布しているため、望遠レンズについては違和感が残っていました。
詳細説明は避けますが、ライカなどの距離系連動型カメラでは望遠レンズが使いにくく、基本的に135mmが限界とされています。しかし、ソール・ライターはそれ以上の150mmレンズを使っていたと明言しているため、好事家の間ではカメラやレンズの推理が盛り上がったりもしました。

7 Lessons Saul Leiter Has Taught Me About Street Photography

7 Lessons Saul Leiter Has Taught Me About Street Photography

とはいえ、以下の記事でも紹介されているように、ソール・ライターはデジカメも含めた数多くの(20台以上もの)カメラを保有、使用しており、その中には一眼レフも含まれています。

1-ソール・ライターを探しに ニューヨーク写真旅

1.ソール・ライターを探しに ニューヨーク写真旅

実際、ソール・ライター財団の動画では東独製の一眼レフHEXACON(コンタックスSのブランド違い)を構えたセルフポートレートも映されていますから、少なくとも1950年代には一眼レフも使っていたでしょう。レンズはキルフィットのキラー(KILAR 150mm/f3.5)やメイヤーオプティック・ゴルリッツのテレメゴール(TELEMEGOR 150mm/f5.5)など使用可能で、どちらも軟調描写でソール・ライターの作風と調和するように思います。

カメヲタ話はさておき、縦位置でカラーフィルムや望遠レンズを使った作品は、同時代のストリートフォトと一線を画す、どちらかといえばファッションフォトのような撮影姿勢といえます。そして、それらがもたらす作画効果によって、同時代のストリートフォトとは全く異なる、ソール・ライターの作品世界を構築したのはまちがいないでしょう。

いずれにしても、非常に興味深い展示なので、ぜひ会場へ足を運んでください。

三丁目の写真展《巣鴨三丁目編》

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Gallery Conceal渋谷にて開催中の三丁目の写真展《巣鴨三丁目編》を鑑賞しました。展示解説には「数ある三丁目の中からひとつの街を撮影地として、自由に写真表現を行うグループ写真展です」とあるが、率直なところなにがどう三丁目なのか、いまひとつ伝わらないものがありました。
また、展示全体として巣鴨という土地が持つ強烈なイメージを持て余しているようなところもあり、間合いのとり方は難しいところがあるとはいえ、もう少し積極的でも悪くはなかったのではないかという感を覚えなかったといえば、それは嘘になってしまいます。

ただ、ランニングシャツに半パン、虫取り網という出で立ちの男性を撮影した作品は、和紙プリントの甘さとキャラクタとのミスマッチや、巣鴨という場所が持つイメージをうまく取り込もうとした積極性が好ましく、なかなかみごたえがありました。また、壁面の大判プリントとは別にフォトブックを用意し、相補的な意味をもたせたことにも感心させられました。あえて難点を言えば、大判プリントにややノイジーな粒子感やプリントラインが残存していたことで、そのへんを解決すればより主題が明確になったと思います。

その他にもGallery Conceal渋谷では興味深い展示が開かれているので、お時間のある方はぜひ足を運んでください。
会期は今週末までです。

薈田純一写真展:新・小説のふるさと

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かねてより「書棚」をテーマに作品制作されていた薈田純一氏が、今度は小説を題材とした写真連作に挑戦されていました。月刊誌『中央公論』に不定期連載されていたそのシリーズは完結していますが、リコーイメージングスクエア新宿にて「新・小説のふるさと」と題する作品展が開かれることとなったので、秋雨がおさまった頃合いを見計らってでかけました。

展示内容などは、リンク先のギャラリー紹介ページをご覧いただくとして、自分が興味深く感じたのは題材となる小説と写真作品との距離感であり、また会場のインスタレーションでした。題材との距離感については、ギャラリー紹介ページの作家コメントでもしっかり言及されていますが、なるほど「翻訳」とは言い得て妙だなと感心させられました。

さて、小説を写真へ「翻訳」した作品の展示ですが、ほぼ文庫本サイズにプリントされた可愛らしい写真が、本箱を思わせるフレームに収められた、なんとも詩的なインスタレーションです。主題となった小説とそのあらすじの後に作品が連なっていますが、特に連続性があるというものではなく、それぞれが独立していながらも緩やかにつながっているような写真です。
そして、当然ながらすべての作品は「主題となった小説を深く読み込み、その上で背景となった風景や品々から触発された」もので、読者ならくすぐられる物もありそうです。ただ、そのくすぐられる感じは決して文芸マニアの内輪ノリめいた閉ざされたものではなく、小説と深いところでしっかり結びついていながらも、作品として開かれた、未読の鑑賞者であっても楽しみ、小説を想像する楽しみをもたらす力を備えています。
それは、写真家自身が小説を愛し、また作家への敬意が反映されているからかもしれません。

とてもおすすめの展示です。ぜひ、会場まで足を運んでください。

橋本清志写真展「鯉の領域」

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アイデムフォトギャラリー「シリウス」にて開催中の橋本清志写真展「鯉の領域」を鑑賞しました。

展示の内容などについてはギャラリーのブログ(橋本清志写真展「鯉の領域」)に丁寧な解説があるので、そちらを参照してください。

ただ、ブログでは己斐から鯉へ転じた地名の由来と展示タイトルとの関係も語られていますが、それはあくまでも「鯉」へ転じた後の己斐で、西広島が舞台ではありません。

展示作品は中判カメラで撮影された銀塩写真で、端正に引き締まったプリントの心地よさが、記憶の片隅にしまい込んでいた地方都市の情景を甘く引き出してくれます。また「鯉」との関連で広島城とカープも出てきますが、やはりかつての市民球場やモダンな公園として整備されつつある途上の広島城を撮影した作品にも、作者の土地へ注ぐ目線の優しさや甘やかさがにじんでいました。

それはトーンやコントラストの柔らかさ、描写の甘さによるものではありません。描写はむしろ正反対といっても良く、広角レンズのパースペクティブを活かした画面構成や、階調表現も硬すぎず柔らかすぎずに調和した中庸そのもので、キャプションも最低限のアノニマスな、つまり無名性を意識したものでした。

そのような作品は特定の地域を取り上げたテーマ性に相反するものがあるように感じられるかもしれません。しかし、展示としての効果は正反対で、むしろ特定の地域がテーマであるからこそ、明暗の調和を意識した描写や広く情景を取り込む画面構成によって、鑑賞者の記憶を引き出す作品となっています。

そして、そのような無名性へも目配りした作品は、必ずしも広島市のみに依拠するものではなく、昭和末期から平成初期という時間軸における地方都市というひとつの典型への眼差しも含んだ、幅の広いものとなっています。

とてもおすすめの展示です。ぜひ、会場へ足を運んでください。

星玄人写真展「St.photo exhibition 31 東京」と須田一政写真展「煙突のある風景」

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大型連休ということで、久々に写真ギャラリーをはしごした。

最初に鑑賞したのはプレイスM須田一政写真展「煙突のある風景」で、同名の写真集が発売されることに合わせて開かれた展示のようだった。また、須田氏が亡くなられたのは今年の3月で、おそらくは生前から準備されていた展示ではあろうが、どうしてもあれこれ考えてしまう。

須田氏は十分な実績と評価を有する、戦後日本を代表する写真作家のひとりと言っても良さそうな人物である。もちろん、展示作品もその評価に恥じぬ質の高さで、作家自身の熱量と写真作家という存在に対する社会の目線が幸福なカタチで交錯したつかの間のひとときが、丁寧にプリントされていた。

正方形の6×6空間に収められた風景は、ただ当時の写真的な良さ、美しさ、同時代のいきいきした眼差しを銀塩に焼き付けただけのはずだが、時間という隔たりの彼方から眺めると、そこにはどうしても幾ばくかの郷愁、あるいは異界感が漂ってしまうのは避けられそうになかった。だから、撮影地と年代を記した展示の方法については、かすかなため息というか「仕方のないこととは言ってもなんとかならなかったものか」という心情を覚えてしまう。
もちろん、作家没後の展示であり、そこには限界があることも理解しているつもりではあるが……。

次に鑑賞したのはサードディストリクトギャラリー星玄人写真展「St.photo exhibition 31 東京」で、ナンバリングにも表れているようにこのテーマで31回めの展示となる。星氏は平成日本で最も活動的なストリートフォトグラファーのひとりだが、最近では海外からも注目されているようだ。

展示作品は夜の新宿を撮影したストリートフォトグラフィーだが、かれこれ十数年に渡って取り組んできたテーマだけあって、そこにはひとつの作家的美学のようなものが構築されている。ただ、その中にもある程度のゆらぎというか、変化し続けている部分はある。今回の展示ではわりかしはっきりと変化を志向した感があり、それはたまたま立ち話をさせていただいた作家氏自身の言葉によっても裏付けられた。

須田氏と星氏という、新宿を拠点に活動した新旧ふたりの作家と作品を同時に鑑賞できる機会は貴重なので、ぜひとも会場へ足を運んでほしい。