山本雅紀写真展「我が家 2」と馬場さおり作品展「その男, 彭志維 (ポン・ツー・ウェイ)」

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なにかと慌ただしい日々が続いていたものの、ふっとスキマ時間ができたので、非常に対照的なふたつの写真展をはしごした。

最初に鑑賞したのはニコンサロンの山本雅紀写真展「我が家 2」で、久しく訪れていなかったサロンやサービスセンタの変化にとまどいながらも、静かなギャラリーで落ち着いた気分で作品と向き合えたと思う。
作品そのものはモノクロの家族写真で、内容としては作家が自身の家族を素早く無遠慮に撮影した飾らない日常を大きく伸ばしたプリントが展示の柱となっていた。
作品に描き出された楽しげな家族の姿は、誰もが祝福せざるをえないような暖かみに満ち、鑑賞者の心を優しく包み込むような雰囲気を放っている。ただ、そこには豊かとはいえないものの落ち着いた暮らしを営む、家族の愛情やぬくもりといった、ほとんどクリシェすれすれの通俗性や予定調和的な甘ったるさが潜んでいて、そういった「誰もが安心して受け止められるイメージ」をさらに発展させる面白みについても、さらに深く追求してよかったのではないかと思う。

次に鑑賞したのはソニーイメージングギャラリー銀座の馬場さおり作品展「その男, 彭志維 (ポン・ツー・ウェイ)」で、日雇い現場を渡り歩きながらふたりの娘を育てる単身父親の日常だった。
作品は仲の良い父娘の姿と現場を渡り歩く父親の日常を描いているが、そこには暖かみの背後に経済的な困難も垣間見え、ややもすると鑑賞者の心をざわつかせる不穏な雰囲気を放っている。そして、豊かとはいえないものの必死に働き、家族を養う父親の姿からは、愛情やぬくもりと同時に家父長的な責任感や息苦しさすら感じられるかもしれない。そればかりか、現代の日本では男だから父親として家族を養うといった、かつての通俗性や予定調和的な価値観は拒否されつつあり、時代遅れのイメージとなっている。
しかしながら、作家自身がその「古臭い価値観」に注ぐ眼差しは暖かく、そして優しい。それは、当事者に寄り添いつつ客観視する作家のバランス感覚によるものであろうが、それが作品に重層的かつ強い魅力をもたらしていると思う。

どちらも素晴らしい展示なので、多くの人々に会場へ足を運んでいただきたいと願う。

佐藤充写真展「昨日」と中島里菜写真展「海と玉ねぎ」

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展示のDMをいただいたところに、ちょうどまとまった時間も取れたので、新宿の写真ギャラリーをはしごした。

最初に鑑賞したのはPlaceMの佐藤充写真展「昨日」で、フェティッシュな不穏を感じさせるモノクロのストリートフォトを展示していた。ギャラリーの紹介画像をご覧いただければすぐに伝わると思うが、かつてのコンテンポラリーなブレやボケ、荒れた雰囲気が漂っていて、それだけでもフェティッシュなスタイルへの欲求を感じさせてくれる。それとは対照的に、電車内のポートレートはきっちりしたピントと、覗き込むような画面構成が、性的でフェティッシュな不穏さを濃厚に醸している。両者の対比が鑑賞者の気持ちをざわつかせ、展示空間に不穏でただならないリズムを刻んでいた。

次に鑑賞したのは、サードディストリクトギャラリーの中島菜写真展「海と玉ねぎ」で、出かけるきっかけとなったDMを送ってくれた展示でもある。
展示されていたのはフィルム撮影の日常写真で、みずみずしい郷愁と表現したら、なにか矛盾しているかのように思えるが、若さと懐かしさが同居し、なおかつ静かに調和している、そんな雰囲気の展示だった。
展示タイトルと同名の写真集も販売されていて、そちらも感じの良い作品だった。

いずれもおすすめの展示なので、ぜひとも足を運んでいただきたい。

薈田純一「SESSHU GARDENS」と 遠藤晶写真展「照りつける光の中で」、マヌエル・ファン・ダイク「SPIKE」そして伊藤昭一写真展「迷鳥」

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久々にまとまった時間が取れたので、新宿の写真ギャラリーをはしごした。
お目当てはRED Photo Galleryの薈田純一写真展「SESSHU GARDENS」で、タイトルそのままに雪舟が作庭したと伝えられる庭園を撮影したものだ。
展示内容については作家コメントを参照していただくとして、固定された立ち位置から撮影された画像を重ねて庭園の全体を浮かび上がらせた作品は、作家の視線や興味をたどる謎解きめいた楽しみもあり、あたかもダン・ブラウンの小説を読むかのような楽しみを覚えた。

次に訪れたのはアイデムフォトギャラリー「シリウス」で、遠藤晶写真展「照りつける光の中で」を鑑賞した。展示内容についてはオフィシャルブログの解説が簡潔にして的を得ているので、そちらを参照してください。こちらも展示タイトルが作品の主題を明確に示しており、西海岸の空気感と同時に1950~60年代のアメリカ写真がまとっていたアウラのようななにかをさり気なく取り入れていた。

さらに進んで、新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーでは、マヌエル・ファン・ダイク氏の「SPIKE」を鑑賞している。こちらも展示内容については作家コメントを参照していただくとして、撮影とセンスの両面で非常に上手いストリートフォトがならんでおり、なんどもうならされた。また、かつて(いや、いまでも?)新宿が日本を代表する写真家たちの特異点だった時代がはらんでいた濃厚な香りを、そこはかとなく漂わせているところも心憎い、とても素晴らしい展示だった。

最後になったが、蒼穹舎ギャラリーの伊藤昭一写真展「迷鳥」も鑑賞させていただいている。展示されていたのは海辺の風景をとらえた作品で、水平構図のほぼ中央に道のようななにかがある情景が多く、やや単調でもあったが、それは作家の心象であったり、展示のリズムを刻んでいるのだろう。

いずれもおすすめの展示なので、ぜひ足を運んでいただきたい。

牟田義仁写真展「onbeat!4」

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不意に時間が空いたので、ひさびさに新宿の写真ギャラリーをはしごした。

いろいろ観たが、強く印象に残ったのは最終日だった瀬戸さんの展示と、サードディストリクトギャラリーで今週いっぱい開催している牟田義仁さんの「onbeat!4」だった。

自分は牟田さんの作品が大好きなので、ギャラリーの告知を読んだとたん、すっかりうれしくなってしまった。足取り軽く急な階段を登り、扉を開けると、そこにはクールにちょっとつきはなしたような牟田さんの作品がならんでいる。コンパクトカメラ撮影の気軽さと、それでいてしっかり計算された構図、そして丁寧なプリントがもたらす心地よさが、鑑賞者の心をひきつけてやまない。

ひとつひとつの作品をゆっくり鑑賞しながら、しばし浮世の騒動を忘れる。作品が写しているのは紛れもない現実世界であり、けっして幻想的な描写ではない。むしろ、現実と真正面から向き合うリアリズムを感じさせる作品なのだが、それでいて浮世離れした気高さをただよわせている。

ぜひ、会場でそういう多層的な作品の良さを感じてほしい。

会期は5月23日まで。

瀬戸正人写真展「Last Film」と「記憶の地図」

東京都写真美術館と新宿のPlace Mで瀬戸正人氏の写真展が開かれているので、それぞれ年末と年初に鑑賞しました。両方を鑑賞して気がついたのですが、ふたつの展示は相補関係にあるので、どちらも鑑賞できたのは実によかったです。

まず、東京都写真美術館の瀬戸正人展「記憶の地図」は、昭和末期の1980年代から最近までの作品を、いくつかの写真プロジェクトを通じて概ね年代順に展示する構成でした。また、タイトルも「記憶の地図」とあるように作家自身を回顧する展示と言えますし、自分も半分近くの作品は初めて展示された頃にリアルタイムで鑑賞していたので、過去を振り返るような鑑賞体験を予期して会場へ足を運びました。

ところが、実際に作品と向き合って感じたのは、現代の日本を予感させるような数々のイメージです。直接的には主にアジア各国から日本へ来て、様々な生活を営んでいる外国人を撮影した連作や、あるいは福島を継続的に撮影したシリーズですが、その他にも公園のカップルを撮影した写真企画や、作家自身の過去を振り返る作品にも現在の日本、少なくとも東京を予見するかのようなイメージが散りばめられていました。

もちろん、作家は写真を通じて社会と向き合っているので、過去の写真に現在との連続性を見出すのは当然でもありますが、自分は単なる連続性を超えた未来へのまなざしとも言えるなにかを感じたのです。

その点で、新宿のPlace Mで開かれている「Last Film」は、写真美術館の「記憶の地図」ときれいな対称をなしているように感じられました。

とにかく、観るものが全て懐かしいのです。これは、展示作品の撮影時期が比較的古く、概ね昭和末期から平成初期の風景という要素も大きいのですが、単に写り込んでいる存在が鑑賞者の記憶と紐付いているだけではない、なにか過去へのまなざしを思わせる写真でした。

こういうわけで、ふたつの展示は未来と過去をまなざす、きれいな対称を描いているように思いますし、そもそもが相補的な企画ですので、ぜひとも会場へ足を運んでいただけたらとおもいます。

高村啓子写真展「浮遊する湿度」と星玄人写真展「横浜」

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秋の連休に新宿方面のギャラリーをはしごしました。

まずは新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーで星玄人さんの写真展「横浜」を鑑賞します。星さんのストリートフォトは方法論がしっかりしてて、鑑賞する自分も安心しながら作品の世界、盛り場の夜へと没入できました。すべてモノクロで、夜の盛り場を撮影した作品ですが、地名を冠したタイトルにもかかわらず、強い無名性を感じさせるところは本当に素晴らしい。
また、今回の展示はけっこう以前に撮影した作品も含まれているようで、個々の写真にはそれなりに時間の隔たりもあるのでしょうが、それを感じさせない統一感は流石でした。

次に新宿御苑前のプレイスMで高村啓子さんの「浮遊する湿度」を鑑賞しましたが、こちらもモノクロの銀塩写真を展示していました。繁茂する植物を撮影した作品で、ステートメントにもそれとなく言及されているように、生命を感じさせる作品です。ただ、自分が作品から感じたのは生命のもつ力、それも時として人間やその暮らしを飲み込み、覆い尽くす油断のならなさ、ややもすれば敵対的ですらある暴力性、決してわかり合うことのできない異質な存在としての植物でした。

いずれもおすすめの展示です。どちらも会期は27日まで、ぜひ会場へ足を運んでください。

尾仲浩二写真展「すこし色あせた旅」と前田昌樹写真展「打敷」そしてATSUSHI YOSHIE写真展「TAIWAN 2011-2019」

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思いがけずスキマ時間ができたので、すごく久しぶりに写真ギャラリーをはしごしました。

最初に鑑賞したのはサードディストリクトギャラリーの前田昌樹写真展「打敷」で、都市の近郊と里山が重なり合うような「周辺域」を丁寧に、かつ知的に撮影した作品でした。幸いにも作家氏が在廊しておられたので、自分の拙い感想もお伝えさせていただきましたが、即興性や叙情性と理知的な構図、描写とのバランスに腐心しておられ、また展示環境を考慮したプリントの作成にもかなり気を配っておられるように感じられました。

次に蒼穹舎ギャラリーでATSUSHI YOSHIE写真展「TAIWAN 2011-2019」を鑑賞させていただきましたが、こちらも知的に覚めた空気感と隠し味程度に抑えた叙情性との配分が好ましく、すっかり堪能させていただきました。

そんな心地よさを抱えてプレイスMへ向かったのですが、まさか尾仲浩二氏の展示とは思っていなかったばかりか、ご本人も在廊しておられたので、すっかり舞い上がってしまいました。
尾仲氏については、自分があれこれ説明するのもおこがましいので、写真集専門店Shelf作家解説を参照していただければと思いますが、日本を代表する現代写真家のひとりです。
開催されていたのは尾仲浩二写真展「すこし色あせた旅」で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって撮影旅行ができなくなり、その時間を利用してプリントした過去のネガカラー作品を展示したとのことでした。また、同名の写真集も出版され、会場では即売もされていました。
作品についてですが、展示作品の撮影時期は自分にとって写真雑誌やワークショップを通じて尾仲氏の作品と親しんでいた時期と重なるため、どうしても郷愁とか懐かしさが先に立ってしまいがちですが、それは同時に尾仲作品の抒情性や郷愁は見せかけであり、それに足元をすくわれると危ういことを教えられた日々でもありました。
それだけに、自分の経験や記憶がもたらす郷愁、懐かしさが、作品が示す思考の深さ、知的な態度との差分をどうしても意識してしまい、それが微妙な可笑しみともなって、なんとも不思議な鑑賞経験となりました。

前田昌樹写真展「打敷」とATSUSHI YOSHIE写真展「TAIWAN 2011-2019」は明日までですが、尾仲浩二写真展「すこし色あせた旅」は16日まで開催しています。
ぜひ、会場まで足を運んでください。

森山大道の東京 ongoing

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風は強かったものの、思ったより早く雨がやんだので、週末は思い切って写真美術館へでかけました。目的は森山大道氏の国内初となる個展「森山大道の東京 ongoing」です。展示内容などについては、デジカメWatchのレポート「森山大道の東京 ongoing」・「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展が簡潔にして的確にまとめているので、そちらを参照してください。

個人的に、森山氏は国内外の若手写真作家や愛好者から半ば神格化されていると言ってもよいほど熱狂的な支持を受けつつ、同時に自分と同世代やそれ以上の年齢層からは時として冷ややかに、あるいは意識して言及を避けるかのように扱われる、極端な両面性を帯びた人物でした。
特に新宿界隈でストリートフォトを愛好するなら、決して避けては通れない人物であり、またイベントなどはもちろんギャラリーなどで対面することも稀ではありません。そのため、日本写真史に名を刻む人物でありながらも、その影は日常の中に写っては消えてゆく、どこか身近な存在でもありました。

さておき、そんな思いをいだきつつ会場へ向かったのですが、まず最初に観たのは氏の代表作である「三沢の犬」や「Lips」よりセレクトされた作品でした。いずれも壁面いっぱいにまで引き伸ばされており、率直なところ「こんなに大きな作品だったっけ?」との違和感や、またあまりにもオサレなインスタレーションに「あぁあ、森山大道もすっかりアート作家になっちゃった」といった、あたかも老大家が過去の代表作にあぐらをかいているかのような、なんともしょんぼりした気持ちに襲われたのです。

ところが、続く展示室へ入った瞬間、そんな気持ちは吹き飛ばされました。

柔軟な好奇心のおもむくまま、都市を軽やかに撮り続けてきたまなざしの確かさ、シャッタを切る身体のキレが明らかで、また個々の作品が発する印象の積み重ねが全体としての時代性、批評性をもたらす構成の見事さまで、なにもかもが神話的存在としての森山大道そのままだったのです。

まぁ、最初の展示室で失望の奥底から下卑た期待感を、それは老いて時代から取り残されしもののあがきへのそれを覚えなかったかといえば、それはまったくの嘘となってしまいますが、それでも大半が近作であるキレッキレのストリートフォトを心ゆくまで堪能できたのですから、それにまさるものはありません。

ストリートフォトに関心を持つ人はもちろん、そうでない人にも強くおすすめしたい展示です。
会期は9月22日までですが、予断を許さない情勢でもあり、できるだけ早い機会に会場へ足を運ぶようおすすめします。