佐藤充写真展「昨日」と中島里菜写真展「海と玉ねぎ」

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展示のDMをいただいたところに、ちょうどまとまった時間も取れたので、新宿の写真ギャラリーをはしごした。

最初に鑑賞したのはPlaceMの佐藤充写真展「昨日」で、フェティッシュな不穏を感じさせるモノクロのストリートフォトを展示していた。ギャラリーの紹介画像をご覧いただければすぐに伝わると思うが、かつてのコンテンポラリーなブレやボケ、荒れた雰囲気が漂っていて、それだけでもフェティッシュなスタイルへの欲求を感じさせてくれる。それとは対照的に、電車内のポートレートはきっちりしたピントと、覗き込むような画面構成が、性的でフェティッシュな不穏さを濃厚に醸している。両者の対比が鑑賞者の気持ちをざわつかせ、展示空間に不穏でただならないリズムを刻んでいた。

次に鑑賞したのは、サードディストリクトギャラリーの中島菜写真展「海と玉ねぎ」で、出かけるきっかけとなったDMを送ってくれた展示でもある。
展示されていたのはフィルム撮影の日常写真で、みずみずしい郷愁と表現したら、なにか矛盾しているかのように思えるが、若さと懐かしさが同居し、なおかつ静かに調和している、そんな雰囲気の展示だった。
展示タイトルと同名の写真集も販売されていて、そちらも感じの良い作品だった。

いずれもおすすめの展示なので、ぜひとも足を運んでいただきたい。

薈田純一「SESSHU GARDENS」と 遠藤晶写真展「照りつける光の中で」、マヌエル・ファン・ダイク「SPIKE」そして伊藤昭一写真展「迷鳥」

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久々にまとまった時間が取れたので、新宿の写真ギャラリーをはしごした。
お目当てはRED Photo Galleryの薈田純一写真展「SESSHU GARDENS」で、タイトルそのままに雪舟が作庭したと伝えられる庭園を撮影したものだ。
展示内容については作家コメントを参照していただくとして、固定された立ち位置から撮影された画像を重ねて庭園の全体を浮かび上がらせた作品は、作家の視線や興味をたどる謎解きめいた楽しみもあり、あたかもダン・ブラウンの小説を読むかのような楽しみを覚えた。

次に訪れたのはアイデムフォトギャラリー「シリウス」で、遠藤晶写真展「照りつける光の中で」を鑑賞した。展示内容についてはオフィシャルブログの解説が簡潔にして的を得ているので、そちらを参照してください。こちらも展示タイトルが作品の主題を明確に示しており、西海岸の空気感と同時に1950~60年代のアメリカ写真がまとっていたアウラのようななにかをさり気なく取り入れていた。

さらに進んで、新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーでは、マヌエル・ファン・ダイク氏の「SPIKE」を鑑賞している。こちらも展示内容については作家コメントを参照していただくとして、撮影とセンスの両面で非常に上手いストリートフォトがならんでおり、なんどもうならされた。また、かつて(いや、いまでも?)新宿が日本を代表する写真家たちの特異点だった時代がはらんでいた濃厚な香りを、そこはかとなく漂わせているところも心憎い、とても素晴らしい展示だった。

最後になったが、蒼穹舎ギャラリーの伊藤昭一写真展「迷鳥」も鑑賞させていただいている。展示されていたのは海辺の風景をとらえた作品で、水平構図のほぼ中央に道のようななにかがある情景が多く、やや単調でもあったが、それは作家の心象であったり、展示のリズムを刻んでいるのだろう。

いずれもおすすめの展示なので、ぜひ足を運んでいただきたい。

牟田義仁写真展「onbeat!4」

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不意に時間が空いたので、ひさびさに新宿の写真ギャラリーをはしごした。

いろいろ観たが、強く印象に残ったのは最終日だった瀬戸さんの展示と、サードディストリクトギャラリーで今週いっぱい開催している牟田義仁さんの「onbeat!4」だった。

自分は牟田さんの作品が大好きなので、ギャラリーの告知を読んだとたん、すっかりうれしくなってしまった。足取り軽く急な階段を登り、扉を開けると、そこにはクールにちょっとつきはなしたような牟田さんの作品がならんでいる。コンパクトカメラ撮影の気軽さと、それでいてしっかり計算された構図、そして丁寧なプリントがもたらす心地よさが、鑑賞者の心をひきつけてやまない。

ひとつひとつの作品をゆっくり鑑賞しながら、しばし浮世の騒動を忘れる。作品が写しているのは紛れもない現実世界であり、けっして幻想的な描写ではない。むしろ、現実と真正面から向き合うリアリズムを感じさせる作品なのだが、それでいて浮世離れした気高さをただよわせている。

ぜひ、会場でそういう多層的な作品の良さを感じてほしい。

会期は5月23日まで。

瀬戸正人写真展「Last Film」と「記憶の地図」

東京都写真美術館と新宿のPlace Mで瀬戸正人氏の写真展が開かれているので、それぞれ年末と年初に鑑賞しました。両方を鑑賞して気がついたのですが、ふたつの展示は相補関係にあるので、どちらも鑑賞できたのは実によかったです。

まず、東京都写真美術館の瀬戸正人展「記憶の地図」は、昭和末期の1980年代から最近までの作品を、いくつかの写真プロジェクトを通じて概ね年代順に展示する構成でした。また、タイトルも「記憶の地図」とあるように作家自身を回顧する展示と言えますし、自分も半分近くの作品は初めて展示された頃にリアルタイムで鑑賞していたので、過去を振り返るような鑑賞体験を予期して会場へ足を運びました。

ところが、実際に作品と向き合って感じたのは、現代の日本を予感させるような数々のイメージです。直接的には主にアジア各国から日本へ来て、様々な生活を営んでいる外国人を撮影した連作や、あるいは福島を継続的に撮影したシリーズですが、その他にも公園のカップルを撮影した写真企画や、作家自身の過去を振り返る作品にも現在の日本、少なくとも東京を予見するかのようなイメージが散りばめられていました。

もちろん、作家は写真を通じて社会と向き合っているので、過去の写真に現在との連続性を見出すのは当然でもありますが、自分は単なる連続性を超えた未来へのまなざしとも言えるなにかを感じたのです。

その点で、新宿のPlace Mで開かれている「Last Film」は、写真美術館の「記憶の地図」ときれいな対称をなしているように感じられました。

とにかく、観るものが全て懐かしいのです。これは、展示作品の撮影時期が比較的古く、概ね昭和末期から平成初期の風景という要素も大きいのですが、単に写り込んでいる存在が鑑賞者の記憶と紐付いているだけではない、なにか過去へのまなざしを思わせる写真でした。

こういうわけで、ふたつの展示は未来と過去をまなざす、きれいな対称を描いているように思いますし、そもそもが相補的な企画ですので、ぜひとも会場へ足を運んでいただけたらとおもいます。