牟田義仁写真展「onbeat!4」

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不意に時間が空いたので、ひさびさに新宿の写真ギャラリーをはしごした。

いろいろ観たが、強く印象に残ったのは最終日だった瀬戸さんの展示と、サードディストリクトギャラリーで今週いっぱい開催している牟田義仁さんの「onbeat!4」だった。

自分は牟田さんの作品が大好きなので、ギャラリーの告知を読んだとたん、すっかりうれしくなってしまった。足取り軽く急な階段を登り、扉を開けると、そこにはクールにちょっとつきはなしたような牟田さんの作品がならんでいる。コンパクトカメラ撮影の気軽さと、それでいてしっかり計算された構図、そして丁寧なプリントがもたらす心地よさが、鑑賞者の心をひきつけてやまない。

ひとつひとつの作品をゆっくり鑑賞しながら、しばし浮世の騒動を忘れる。作品が写しているのは紛れもない現実世界であり、けっして幻想的な描写ではない。むしろ、現実と真正面から向き合うリアリズムを感じさせる作品なのだが、それでいて浮世離れした気高さをただよわせている。

ぜひ、会場でそういう多層的な作品の良さを感じてほしい。

会期は5月23日まで。

瀬戸正人写真展「Last Film」と「記憶の地図」

東京都写真美術館と新宿のPlace Mで瀬戸正人氏の写真展が開かれているので、それぞれ年末と年初に鑑賞しました。両方を鑑賞して気がついたのですが、ふたつの展示は相補関係にあるので、どちらも鑑賞できたのは実によかったです。

まず、東京都写真美術館の瀬戸正人展「記憶の地図」は、昭和末期の1980年代から最近までの作品を、いくつかの写真プロジェクトを通じて概ね年代順に展示する構成でした。また、タイトルも「記憶の地図」とあるように作家自身を回顧する展示と言えますし、自分も半分近くの作品は初めて展示された頃にリアルタイムで鑑賞していたので、過去を振り返るような鑑賞体験を予期して会場へ足を運びました。

ところが、実際に作品と向き合って感じたのは、現代の日本を予感させるような数々のイメージです。直接的には主にアジア各国から日本へ来て、様々な生活を営んでいる外国人を撮影した連作や、あるいは福島を継続的に撮影したシリーズですが、その他にも公園のカップルを撮影した写真企画や、作家自身の過去を振り返る作品にも現在の日本、少なくとも東京を予見するかのようなイメージが散りばめられていました。

もちろん、作家は写真を通じて社会と向き合っているので、過去の写真に現在との連続性を見出すのは当然でもありますが、自分は単なる連続性を超えた未来へのまなざしとも言えるなにかを感じたのです。

その点で、新宿のPlace Mで開かれている「Last Film」は、写真美術館の「記憶の地図」ときれいな対称をなしているように感じられました。

とにかく、観るものが全て懐かしいのです。これは、展示作品の撮影時期が比較的古く、概ね昭和末期から平成初期の風景という要素も大きいのですが、単に写り込んでいる存在が鑑賞者の記憶と紐付いているだけではない、なにか過去へのまなざしを思わせる写真でした。

こういうわけで、ふたつの展示は未来と過去をまなざす、きれいな対称を描いているように思いますし、そもそもが相補的な企画ですので、ぜひとも会場へ足を運んでいただけたらとおもいます。

高村啓子写真展「浮遊する湿度」と星玄人写真展「横浜」

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秋の連休に新宿方面のギャラリーをはしごしました。

まずは新宿三丁目のサードディストリクトギャラリーで星玄人さんの写真展「横浜」を鑑賞します。星さんのストリートフォトは方法論がしっかりしてて、鑑賞する自分も安心しながら作品の世界、盛り場の夜へと没入できました。すべてモノクロで、夜の盛り場を撮影した作品ですが、地名を冠したタイトルにもかかわらず、強い無名性を感じさせるところは本当に素晴らしい。
また、今回の展示はけっこう以前に撮影した作品も含まれているようで、個々の写真にはそれなりに時間の隔たりもあるのでしょうが、それを感じさせない統一感は流石でした。

次に新宿御苑前のプレイスMで高村啓子さんの「浮遊する湿度」を鑑賞しましたが、こちらもモノクロの銀塩写真を展示していました。繁茂する植物を撮影した作品で、ステートメントにもそれとなく言及されているように、生命を感じさせる作品です。ただ、自分が作品から感じたのは生命のもつ力、それも時として人間やその暮らしを飲み込み、覆い尽くす油断のならなさ、ややもすれば敵対的ですらある暴力性、決してわかり合うことのできない異質な存在としての植物でした。

いずれもおすすめの展示です。どちらも会期は27日まで、ぜひ会場へ足を運んでください。